9条連ニュース/125号 巻頭言
「三号雑誌」と自他共に思っていた女のミディコミ『あごら』が、思いもかけず 300号になりました。苦労を共にした仲間、支え続けて下さった読者の方々への感謝をこめて表紙は初めての四色、片岡球子さんの「富士」で飾りました。思えば創刊した 1972年は、女の状況は今の若い方々には想像もできないほど厳しく、それを打開するために、点のように散在している女たちが、線になり面になろうと呼びかけたのが『あごら』の出発点でしたが、よくも息絶えなかったと感慨無量です。 呼びかけ人の私の原体験は、戦後の日本の女でした。真っ黒な焼跡に突然溢れ出た原色の女たち。その一方で内職に疲れ果てていく主婦たち。10代の心に刻まれた悲しみは、戦後 30年近く経った創刊当時でも心の底深く残っていました。路上に立つ女は姿を消しましたが、女が職場に入ることは難しく、入っても給料は男性の半分。昇進も昇格もなく、結婚すれば退職を迫られる状況。思いを印刷物にするほかないと、「三号雑誌」を覚悟しての創刊でした。 300号までの33年間の道程の中で、いちばん力になったのは、75年の第一回世界女性会議に参加して、この世界女性会議や国際婦人年が、日本の女性差別に始まったことを知ったことでした。 第二次世界大戦後、国連で日独の戦争原因を追求した結果、「ドイツは民族差別、日本は女性差別」が結論となったところ、世界各国から、「女性差別ならどの国にもある」という声が出てCSW(女性の地位委員会)が設置され、 75年に世界女性会議を開くこと、10年間の国際婦人年を設けることが定められたのです。 この第一回世界女性会議で女性差別を根底から覆す世界行動計画とメキシコ宣言を採決。5年後の80年には女性差別撤廃条約が、各国の批准によって成立。女性の情況は幾何級数的に好転しました。 雑な言い方をすれば「日本の女性差別が戦争を招き」、その結果、「二度と戦争のない世界にするために女性差別の解消が国連の大きな目標になり、世界の女性の地位は信じられないほど好転した」ということになるのでしょうか。 国連から「差別解消の号令」が出されたことは、下からの声には決して動かない日本政府をも動かす結果になり、「男女平等基本法」まで制定されました。 創刊の時から、一貫して主張してきた、「差別は戦争への道」が国際的に認知されたことにより、『あごら』の主張も次第に一般にも受け入れられるようになったのは、ありがたいことでした。 しかし、「不戦」「不差別」を日本の国民に保障した憲法九条と二四条がいま揺らいでいます。小泉首相があの悲惨な戦争で散った人を本当に悼むのなら、靖国に詣でるのではなく、憲法、中でも九条と二四条の堅持を掲げること。それこそが最高の国際責任であり、国際貢献ではないかと思う昨今です。 (さいとうちよ 『あごら』編集部)
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「新聞報道に見る 沖縄の 米軍基地と住民」 「戦争のないもうひとつの 世界は可能か」 平和のために −伊藤成彦講演から 「平和を育てよう」 −藤井治夫講演から 「第九条が輝く21世紀を」
「憲法9条ー護憲か廃憲か」 平和のために軍備と戦争の 構造を学ぶ 「世界を見つめる」
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