9条連ニュース/131号 巻頭言


 なぜ加害を語るのか 

芹沢 昇雄

  かつての戦争での加害行為をく心から悔い、反戦平和と日中友ささ好に後半生を捧げた元戦犯たちのことをご存知でしょうか。
                         ☆
  日本の敗戦後、5年間のシベリア抑留を経て中国の撫順戦犯管理所に収容された日本人戦犯、山西省残留を経て戦犯となった人々、1062名の戦犯たちの多くは、戦争中に日本軍の将兵として、捕虜や住民の虐殺行為や性暴力、強制連行などに関与した体験を持っています。
  彼らは中国へ引き渡された時、自らの罪業を考え処刑さえ覚悟しました。しかし、管理所は「戦犯といえども人間である」との方針のもと衣食住のすべてにわたって暖かく接しました。自らも戦争被害者である管理所の職員には、戦犯への寛大措置を不満に思う人もいましたが、周恩来は、「戦犯たちを処刑してしまえばその家族は悲しみ、憎しみの連鎖を断ち切ることはできない」と職員を説得しました。
  
  当初、戦犯たちは「上官の命令に従っただけだ」と反抗しました。しかし、人道的な待遇のなかで、戦犯たちは自分たちの行為を被害者の視点に立って考えることを、深い葛藤や討論のなかで学んでいきます。
  彼らの多くが赦されて帰国したのは1956年のこと。一人の死刑も無期刑もなく、63年までに全員が帰国しました。帰国後、彼らは「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成し、日中友好と反戦平和の運動に取り組みます。社会的な偏見や警察からの監視など、その活動には多くの困難もともないましたが、半世紀にわたって彼らの活動は続けられてきました。彼らの加害行為の証言によって戦争の実態を知った人も多いでしょう。女性国際戦犯法廷で自らの性暴力を証言したのも彼らです。この証言をNHKがカットして放映したのはご承知の通りです。
  
  2000年秋、管理所の開設50周年に、元戦犯たち20名を含む100名の訪中団が管理所を訪れました。この訪中に参加した青年達の間で自主的な話し合いが行なわれ、晩餐会の席上、ひとりの若者・熊谷伸一郎(当時24歳)が「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の立上げを宣言し、日中双方から万雷の拍手を浴びました。(彼は現在、会の事務局長)
  それから2年後の02年4月、中帰連は高齢化のために解散します。私たち受け継ぐ会は中帰連の精神を受け継ぎ、日中友好と平和の実現を信じ、季刊『中帰連』の発行や証言集会の開催など、北海道から九州まで現在11支部500人で活動しています。皆様と手を携え、不再戦の誓いとしての憲法9条を守り抜いていくために頑張ります。
せりざわのぶお(「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」事務局次長)

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第9条 【戦争の放棄,軍備及び交戦権の否認】
1、日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。2 、前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。