9条連ニュース/151号 巻頭言

       

 ドセルを  しょった お地蔵様を
 知っていますか

 

       学童疎開を語り継ぐ会 代表 中野 登美

 

 東京八王子にある相即寺(そうそくじ)の地蔵堂には、八王子城の落城にかかわった武将の霊を供養するた め150体程のお地蔵様がまつられています。
 そこに63年間、少しも変わらず「ランドセルをしょったお地蔵様」は立っているのです。
 
 昭和16年(1941年)4月に尋常(じんじょう)小学校は国民学校と名称を変え、子どもたちは「小国民」と呼ばれました。
 「小さな皇国民(こうこくみん)」に対して「国家への絶対的忠誠心が第一番」であると「皇国民の生き方」を骨の髄(ずい)まで叩き込む徹底した皇国民教育を、政府は実施しました。
 同年12月開戦以来、時の流れは思惑とは違い、戦局は悪化の一途をたどり、ついに昭和19年(1944年)アメリカ軍はサイパン島に上陸しました。
 
 本土空襲必至とみた政府は、6月30日「学童疎開促進要綱」を閣議決定。これによって、縁故疎開(えんこそかい)をしない児童は半強制的に集団疎開へ参加するようになったのです。
 3年生から6年生まで、親元を離れて暮らす集団疎開の第1陣は、8月4日に慌ただしく出発して行きました。後に全国で40万人とも45万人とも言われる、子どもたちの大移動・学童疎開の始まりです。
 「疎開は、勝つため国のため」と慣れない土地で空腹に耐え、寂しさに耐えたのです。疎開できなかった残留組も度重なる空襲に脅え、学業どころではない日々を送ったのです。
 わが国の教育史上、稀(まれ)にみる受難の時代でした。
 品川区立原国民学校(旧品川区立原小学校・現在品川区立小中一貫校伊藤学園)は南多摩郡元八王子村へ集団疎開しました。
 神尾明治(あきじ)君は4年生。6年生のお兄さんや級友と相即寺の隣の隣保館(りんぽかん)で疎開の毎日を過ごしていました。
 しかし7月8日、アメリカのP51戦闘機の機銃掃射(きじゅうそうしゃ)によって、明治君の命は奪われてしまいました。
 戦禍から逃れて比較的安全と思える地方へ疎開させ、「子どもの命を救い、次期戦力を温存する」ことを一つの目的とした学童疎開は、必ずしも安全ではなかったのです。
 当時「学童疎開は子どもの出征」と言われていました。
 「学童の戦闘配置」と、皇国民教育を徹底して受けた軍国少年・軍国少女たちは何の疑いも持たず、ひたすら「戦いに勝つため」に我慢、我慢の毎日でした。
 明治君の死を悲しんだお母さんは相即寺の地蔵堂で明治君の顔によく似たお地蔵様の肩に、ランドセルを背負わせて帰りました。
 明治君は相即寺に隣接する「隣保館」で亡くなりましたが、相即寺の山門にその時の弾跡が今でも残っています。
*今年の9条フェスタ2007参加団体です。  

  

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