「だまされる」のを繰り返さないために
樋口 陽一
60回目の「8月15日」がやってきた。その日を敗戦の屈辱としてだけ記憶してきた人たちが、その屈辱を強いた外国の勢力と一体となって、世界ぜんたいを危うい方向に引っぱってゆこうとしているのは、歴史の皮肉というほかはない。そうした人たちは自分たちの立場のちぐはぐさを棚にあげて、「8・15」を何より解放として受けとめてきた人びとの側にむかって、「与えてもらった民主主義のぬるま湯につかってきた戦後ボケ」と難して
いる。 そんなことはない。ここでは、とりわけ若い人たちのために、1946年―つまり憲法公布の年だが―に書かれている、いくつかの文章をあげておきたい。
「あれが議会に出た朝、それとも前の日だったか、あの下書きは日本人が書いたものだと連合軍司令部が発表して新聞に出た。日本の憲法を日本人がつくるのにその下書きは日本人が書いたものだと外国人からわざわざことわって発表してもらわねばならぬほどなんと恥ざらしの自国政府を日本国民が黙認してることだろう」ーこれは中野重治が『五勺(ごしゃく)の酒』の校長に言わせ、そして、発表時には伏せ字にさせられた一節だった。
おおよそ同じころ(その年の12月)「戦闘帽も国民服も」持たず、戦時中、他人に知られぬためフランス語でひそかに記していたその日記に「からだは日本人だが精神的にはそうではない」と書いていたフランス文学者の渡辺一夫は、「あの8月15日前後に、既に、何かほっとした気持とともに、膿が出尽くせないのではないかと懼れる気持ちがあった」ことを思いかえしながら、「大
変がない国は、外に道を講じ、自己を厳しく鞭打たぬ限りは、少し変なままで歩いてゆくだけ」ではないか、と憂えていた。
もっとさかのぼってその年の4月、あの『無法松の一生』を書いた伊丹万作の言葉は痛切だ。「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。…私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。あんなにも雑作なくだまされるほど判断力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的に従応し自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」。
これを書いて半年たらずののちに世を去った伊丹は、60年のちの私たちのために、こう書きつづけていた。―「”だまされていた”といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいない…」。そして今「別のうそ」は、60年前の「うそ」を上塗りするような仕方で、私たちの目の前にある。そうしたもろもろの「うそ」を見破らせないためのいろんな仕掛け―メディア操作から教科書まで―も勢ぞろいしている。2度だまされないために大切なのは静かな「怒り」と、「知る」手間を惜しまないことでは
ないか。歴史の偽造は、贋金(にせがね)つくりよりも卑しく、罪深い。それに「だまされる」のは、ニセ札をつかまされるよりも恥ずかしいことではないか。
(ひぐち よういち 憲法学者) |