9条連ニュース/129号 リレートークNO.17

『栗原貞子全詩篇』を刊行
伊藤 成彦


栗原貞子さんは、「生ましめんかな」の詩人として広く知られている。

 こわれたビルディングの地下室の夜であった。
 原子爆弾の負傷者達は
 くらいローソク一本ない地下室を
 うずめていっぱいだった。
 生ぐさい血の臭い、死臭、汗くさい人いきれ、うめき声。
 その中から不思議な声がきこえて来た。
 「赤ん坊が生れる」と云うのだ。
 この地獄の底のような地下室で今、若い女が
 産気づいているのだ。
 マッチ一本ないくらがりの中でどうしたらいいのだろう。
 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
 と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
 と云ったのは、さっきまでうめいていた重傷者だ。
 かくてくらがりの地獄の底で新しい生命は生まれた。
 かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。
 生ましめんかな
 生ましめんかな
 己が命捨つとも

 栗原さんは、爆心地に近い郵便局の地下室で、このようにして一人の少女が誕生したことを聞いて、被爆直後の秋に、この詩をノートに書き留めていた。発表は、1946年3月に市民の力で創刊した『中国文化』原子爆弾特集号。発表とともに、この詩は、被爆者たちに生への励ましを与えて広がった。草も生えない、と言われた原子野での生命の誕生を支えて、原子荒野を乗り越える人々の姿を力強く歌っていたからだ。
 こうして被爆直後から短歌・詩によって原子爆弾を告発し続けてきた栗原さんは、70年代にベトナム反戦運動を通して、原子爆弾は日本人がアジア侵略の結果として自ら招いたもので、しかもその日本を再びアジア侵略の基地としている被害と加害の二重性を、「ヒロシマというとき」で鋭く衝いて歌った。

 〈ヒロシマ〉というとき
 〈ああ ヒロシマ〉と
 やさしくこたえてくれるだろうか
 〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
 〈ヒロシマ〉といなんきんぎゃくさつえば〈南京虐殺〉 
  中略
 〈ヒロシマ〉といえば
 〈ああヒロシマ〉と
 やさしくかえってくるためには
 捨てた筈の武器を ほんとうに
 捨てねばならない
 異国の基地を撤去せねばならない 
 中略
 〈ヒロシマ〉といえば
 〈ああヒロシマ〉と
 やさしいこたえがかえって来るためには
 わたしたちは
 わたしたちの汚れた手を
 きよめねばならない

 栗原さんはこれ以後、日本人の戦争責任を深く掘り起こしながら、反核・平和への希求を晩年まで倦むことなく歌い続けた。2003年に脳梗塞で病床につかれた栗原さんを見舞った時、私は栗原さんに、これまでに書かれた全詩篇を一冊にまとめることを勧めた。しかしその翌年3月に栗原さんは重体に陥って、ご自分で詩集を編める状態への快復が危ぶまれた。そこで、作者に替わることは出来ないが、詩集刊行を勧めた者として、病床の作者を励ますために、私が詩集の編纂を引き受けた。広島の方々が「栗原貞子全詩篇の刊行をすすめる会」を立ち上げて支援して下さった。詩集完成を前にして、今年三月に作者は92歳で亡くなった。全詩篇を私たちに残して、反こころざし核・平和の志の継続を託すかのように。
(いとうなりひこ・中央大学名誉教授、9条連代表)
*『栗原貞子全詩篇』(土曜美術社出版販売刊、定価6300円、A5版、589頁)。
申込み先
(栗原貞子全詩篇の刊行をすすめる会、рO82・291・7615、郵便振替01310‐0‐82621)

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