9条連ニュース/132号 リレートークNO.20
中国人追悼碑 去る10月23日、大阪港を見下ろす天保山(日本一低い山)の大阪市が管理する公園に中国人強制連行受難者追悼碑が完成し、除幕式を行った。私はこの実行委員会の事務局長をつとめ、中国から招いた生存者(中国では幸存者)一人と遺族・家族3人と6日間行動を共にした。そこで驚いたことを伝えたい。 1944年、アジア各地に武力進出した日本軍の敗色は濃厚となり、戦死者(6割が餓死)が多くなり、兵役年齢を、それまでの25歳から45歳に引き上げた。その結果、国内労働力が極端に不足し、これを補うため中国人を "拉致" "連行"し、日本各地で強制労働させている。(朝鮮人、オランダ人捕虜も) 強制連行 大阪の港にも、港湾荷役や造船所に1000人にのぼる中国人が連行され、過酷な労働や虐待によって1年足らずの間に86人が亡くなっている。追悼碑は歴史を忘れないために建てた。 今回来日の生存者 高文声さんは藤永田造船所(駆逐艦製造で有名、現・大阪市住之江区)に連れてこられた方で、河南省民権県の白雲寺の僧侶。 関西空港から造船所の跡地に行くことに当初は「60年前の辛いことなど思い出したくもない」といわれていたが、現地に着き周りの景色を見るうちに、当時の記憶が呼び起こされたのか、重い口を開きだした。 私の差し出したメモに「回憶」と書き、当時18歳だった自分は「好奇心」の強い青年だったといい、60年間使ったこともない日本語がどんどん出てきたのである。(「」の中は本人が書いたり 話したこと) 回憶 『私は「29組徳田組」にいた。雑工で湯沸しや布団の上げ下ろしや何にでも使われた。工事現場の監督からは「チャイニーズ、ジャパニーズミナトモダチ」など雨の日には日本語を教えられた。「アイウエオ、カキクケコ、サシスセソ、タチツ・・、」「ヒコーキ、B29」「コドモトシナンボ」「オカネナンボ」「ワカリマセン」「オヤッサン」「オバサン」「メシ」「アタマワルイ」・・・・・。 大阪大空襲に遭い、近くに着弾し防空壕の入り口がふさがれたが九死に一生を得た。友達は母親がひとりなので帰ってやらなければ、といって逃亡し、捕まって暴行を受け死んだ。労働苦しさから海に飛び込んで自殺した者もいる。』 60年前の記憶の蓋が開いた瞬間だった。「回憶」である。 「彰往察来」 (しょうおうさつらい) 「彼らは歴史をねじ曲げて靖国参拝を繰り返す」と小泉と日本の右傾化に憤りを顕にしていた。私たちは右傾化の進む中でも憲法9条を守ることを表明し、碑に刻んだ「彰往察来」(過去をあきらかにしてこそ正しく未来を察することができる)の意味を確認したものです。 (ありもと まさあき 近畿9条連共同世話人)
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「新聞報道に見る 沖縄の 米軍基地と住民」 「戦争のないもうひとつの 世界は可能か」 平和のために −伊藤成彦講演から 「平和を育てよう」 −藤井治夫講演から 「第九条が輝く21世紀を」
「憲法9条ー護憲か廃憲か」 平和のために軍備と戦争の 構造を学ぶ 「世界を見つめる」
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