
子どものお国のためにあるんじゃない!
秋山 淳子

さる5月13日、埼玉9条連は第7回総会を開催しました。
今回は教育基本法に的を絞り、浦和在住の著名な教育学者、大田堯(たかし)さん(日本子どもを守る会名誉会長、元都留文科大学学長)に基調講演をしていただきました。
第164国会での強行採沢が危ぶまれていた「教育基本法『改正』」問題は、採決は免れましたが、憲法を「改悪」したい勢力にはその入り口としての悲願とも言えるでしょう。
危機感を持つ市民たちは、「子どもはお国のためにあるんじゃない」と、教育基本法「改正」問題が正式に俎上(そじょう)に上がる前から、教育基本法「改正」”否”の全国ネットワークを展開しています。
憲法と教育基本法はその成り立ちからしても、不可分のものであり、どちらも変えてはならないものとして一体不離(いったいふり)と言えます。
大田さんは「基本的人権におもう」としてお話し
になりました。「法律とか制度は嫌いだ、人間を縛るから」と話され、そして「憲法の中心は9条であり、基本的人権によって成り立っている。同時に教育基本法と基本的人権で結ばれている」と。
主権者は国民でなくピープルだ!
憲法に規定されているように私達は主権者としての役割を果たしているか、と問われれば答えに窮(きゅう)します。大田さんは「主権者である人々(大田さんは「”国民”という言葉は嫌いだ”ピープル”です」と)が現在の政治状況をつくりだしている」と。
主権者とは何か
、「主権者とは、基本的人権の体現者であり、行動と感性が育っている人のこと」と、次のように話されました。
「どうなる」でなく「どうする」
一人暮らしの大田さんがゴミ置き場で掃除をしていた時、
近所の方が「先生、日本はどうなってしまうのでしょうか」と聞いた。大田さんは思わず「滅びるでしょう」と答えた。
「『どうなるでしょう』というのはまさに臣民(しんみん)意識(※)そのものであ
り、お上(かみ)意識の延長線上にあるということ。”どうするか”と”どうなるか”との間のギャップは大きい。
権力のすることの悪辣(あくらつ)さを見抜く感性を持ち、われわれの民主主義はまだまだ未熟であると深く認識する機会に”現在”(いま)をすべきだ。」
※ 臣民君主に支配される人民。明治憲法下で、天皇と皇族を除いた国民。
危機の時こそ互いを認め連帯を
「人々が、それぞれの違いは違いとして認め連帯することで、連帯の一部が崩されたとしても誰かが、何かが生き残る。そうやって次につながるのである
。今こそ、全体主義を克服し違いを大事にして、お互いに認め合うこと(=基本的人権)。危機の時にこそ、お互いの不完全さを認め合わねば。主権者の資格は不完全であるということだから、皆で智恵を
出し合わねばならない。民主主義は不完全性を前提にしている。
権利とは、他者との関わりを考えて主張することであり、伝え合う心である。危機こそ市民が連帯するのに大事なのである」。
「教育基本法
」改変は真理の否定
教育基本法は教育の根本を定めた理念法であり、教育の憲法と言われゆえんる所以(ゆえん)です。
こうした根本法を「諸情勢の変化」「時代の要請」というだけで変えることは許されません。
現行教育基本法制定当時、その中心にいた南原(なんばら)繁(東大総長、教育刷新委員会副委員長)は「新しい教育理念にいささかの誤りもない。いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも、何人(なんぴと)も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないだろう。なぜならばそれは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しい」と語った。
このことを、今しっか
りと噛み締め、行動する時ではないでしょうか。(埼玉9条連代表幹事) |