憲法9条-世界へ未来へ 連絡会

内灘闘争は住民と労働者の連帯の中で闘い抜かれた!

「内灘闘争」は、第二次世界大戦後の間もない時期に石川県の内灘砂丘を舞台に米軍の砲弾試射場接収に反対して闘われた戦後初の基地反対闘争です。1952年、米軍が朝鮮戦争で使用する砲弾の需要が高まり、日本国内から納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要になりました。政府は長い海岸線を持つ内灘砂丘を砲弾試射場に決定し、翌年には米軍による試射が開始されました。この事態に住民は「金は一年、土地は万年」の合言葉を筵旗(むしろばた)に掲げて闘い、接収反対運動は全国的な運動へと展開していきました。反対運動の中心は「内灘のおかか」と言われた女性たちで、砲弾の試射を阻止するために命がけで着弾地に座り込みました。この闘いに労働者も連帯し、北陸鉄道労働組合は軍事物資輸送拒否のストライキを行いました。「北鉄労組は基地反対!と叫ぶが実際は北鉄の電車でタマを運んでいるではないか!」との住民の声が軍事物資輸送拒否の決議の大きな契機になったと言われています。  

この闘いは日本の労働者の初の反戦・平和の政治ストライキで、当時の総評をはじめ、全国各地で支援行動が展開されました。内灘闘争は住民と労働者の連帯の中で闘い抜かれた反戦・平和闘争であったのです。

今、世界各地で戦争によって多くの人々の命が奪われ続けています。その戦争に武器を供給している国や部品などを供給する国もあり、各国の権力者は国益のために戦争に加担しています。日本政府は「国防」の名のもとに莫大な予算を投入し、自衛隊基地を次々に建設し、軍事力強化・戦争をする国へと突き進んでいます。2023年には敵基地攻撃能力の保有を閣議決定するなど、今や平和憲法は実質的に踏みにじられている状況です。

私たちはこのような状況の中で、5月29日に「内灘フィールドワーク」(砲弾試射場跡地、内灘闘争を記録した施設の見学など)を取り組みます。平和を求めて闘った「内灘闘争」から学ぶとともに、北陸において憲法9条を中心とした平和憲法を守り広めていきたいと思います。

 

北陸9条連結成準備委員会